好きな男性が親のせいでいなかった。

私は子どものころに、父親が厳格でしたので、優しい男性というのがどんな人なのか知りませんでした。
でも、中学生になってすごく優しい男子生徒がとなりの席になって、好きになってしまったのでした。
中学のときは、自分の片思いで終わりましたが、高校生になって彼と再会してデートするようになりました。
その時に、彼の中に男性を感じましたが、交際はプラトニックなものでした。
でも、1年ほどで自然消滅してしまったのでした。
32歳のときに、再会して彼と婚外恋愛をするようになりました。
好きな男性は彼以外いません。

プライスレスな親子の愛

何かで別れて、バツイチ子持ちみたいのが、一番楽なのかというと、結局子育てなんてしたわけでもなく、そう考えると、実の子供ではないと知った子供の衝撃を考えたら、6万なんて話じゃないわけですよね。
だから、仮に3歳から18歳、15年間。6万円をもらえたら、かなり貯まりますし、苦しくはないですが、精神的に弱い人は、ぶっ倒れるような苦労を背負うような感じがします。

普通の家庭に育っていないということで、やっぱり、普通の家庭で適当な人が、そういう子供をもらって、喧嘩になって、センターに戻ってしまう事も、あるのだそうです。

それは普通の親子でもあることですが、里子であると段々分かってきた、特に10代のキッズから見たら、どれだけ愛してあげても、半端ない苦しみを味わうでしょうね。

Sさんは、やっぱり里子だったのだそうです。

名前だけの親父とは全く愛もなんにもないのですが、お母さんは凄くSさんを可愛がっていたのだそうです。

お前が死んだら私も死ぬって、ずっと抱きしめていて、それでなんとか少年鑑別所で終わったそうです。
そのあと、Sさんは、ほぼ自分くらいの年になって、お母さんの事をずっと考えるようになったようです。

それくらい、6万円で当たり前ですが、変えられないものがあるのですね。

折り鶴問題について

今回は折り鶴問題について書こうと思います。

最近被災地の人が折り鶴はいらないといった旨のことを言ったことに対してせっかく送ったものにケチをつけるとは何事かと憤慨されている人がいるようです。

そしてその憤慨されている方を善意の押し売りだと批判する人もいるようです。

このことに関して自分の意見を書いてみようかと思います。

結論からすると折り鶴は確かにあまり役に立たない、それは事実だと思います。

ただ、折り鶴問題で善意の押し売り批判をしている人は折り鶴を全くもって役に立たないものだと堂々と言い切っていることに若干の違和感と偉そうぶってるような不快感を感じました。

被災者全員に会って折り鶴がいらないのか聞いたわけでもないのに断定で言っているのが癪に障ったのです。

言い方を変えるならば「折り鶴は役に立ちにくい。

ただ被災者の少数派の人が精神的な支えになる可能性もあるからその断定的な言い方が不快」ということになります。

色々と書いてきましたが端的に言うとどっちもどっちということです。

あと、この折り鶴問題に限ったことではないですが誰かを貶して下を作ることで優越感を得るこのよの殺伐とした風潮は疲れますね。